2008/10/18

ル・クレジオ

「物質的恍惚」より抜粋               

ぼくがまだ生まれていなかったとき、
ぼくがまだぼくの生命の円環を閉じ終えていず、
やがて消しえなくなるものがまだ刻印されはじめていなかったとき、
ぼくが存在するいかなるものにも属していなかったとき、
ぼくが孕まれてさえいず、考えうるものでもなかったとき、
限りなく微小な精確さの数々からなるあの偶然が   
作用を開始さえしていなかったとき、
ぼくが過去のものでもなく、現在のものでもなく、
とりわけ未来のものではなかったとき、
ぼくが存在していなかったとき、ぼくが存在することができなかったとき
 ー  略 -
ぼくが無でさえなかったー
なぜならぼくは何ものかの否定ではなかったたのだーとき
一つの不在でもなく、一つの想像でもなかったとき
 -  略 ー
ぼくは死んではいなかった。ぼくは生きてはいなかった。
ぼくは他者たちの身体の中にしか 存在していず、
他者たちの力によってしか力をふるえなかった。
 -  略 -
沈黙から出、そして沈黙のほうへ帰ってゆくのだ、
ーーぼくが生まれていなかったとき、世界は見棄てられていた。
ぼくが死んでしまうとき、世界は見棄てられてしまうだろう。
そしてぼくが生きているとき
世界は見棄てられている。
 ー  略 ー
言語の彼方、意識の彼方、すべて形であって
生きていたものの彼方に在るのが 全的な物質、生の物質、
目的なくそれ自体に委ねられた物質の拡がりだったのだ。
ぼくの自我の彼方、ぼく個人の真実というプリズムを超えて
自己を表現しようとしないこの世界があったのだ。
 ―  略 -
死が生の完遂であり、生に形と価値とを与えるものであり、
生の円環を閉じるものであるのと同時に、
沈黙は言語と意識との至高の到達である。
ひとが言う、あるいは書くすべてのこと、知っているすべてのこと、
そのために 、まさにそのためにあるのだ。-沈黙のために。

2008/10/11

ル・クレジオがノーベル文学賞を受賞 !     
かなり以前に手元にあった「物質的恍惚」の
とても印象的な一節をノートに控えたが、        
どこを探しても見当たらない。